青学で9年留年した高橋克典、何度退学届を出しても受理されなかったわけは… - スポーツ報知 俳優の高橋克典(54)が4日放送の日本テレビ系「誰だって波瀾爆笑」(日曜・前9時55分)に出演。青学大で9年間留年していたことを明かした。 (出典:スポーツ報知) |
(出典 i.daily.jp)
高橋 克典(たかはし かつのり、1964年12月15日 - )は、日本の歌手、俳優。神奈川県横浜市出身。所属事務所はケイダッシュ。身長175cm、体重68kg。趣味はツーリング。 父の勝司は秋田師範学校卒業後特攻隊員となりつつ生きて戦後を迎え、横浜で音楽教師となる。母の角田好子は芸大卒業の声楽家と 53キロバイト (7,423 語) - 2019年8月4日 (日) 07:44 |
俳優の高橋克典(54)が4日放送の日本テレビ系「誰だって波瀾爆笑」(日曜・前9時55分)に出演。青学大で9年間留年していたことを明かした。
青山学院の初等部に入学し、そのまま経営学部に進学した高橋。
中退する27歳まで21年間を同じ敷地内で学んでいたそうで、出演者から「(大学に)9年もいられるんですね」と聞かれると
「いられるもんですね」と本人も感心した様子でうなずき、「僕は2年休学をしていたんですけど、それで9年かな」と語った。
当時を振り返る高橋は「やめようと思ったんですよ、何度も」とし、「退学届けを出したんです」と打ち明けた。
しかし、いつも受理されなかったとか。その理由を高橋は「(退学届を)受領する課の課長が(高橋が中等部と高等部で所属していた)ラグビー部のOBなんです。
しかも母と仲がいい人なんです。で、何せ母が学院内で働いているから、内線電話で(母のところに)電話が行く。
『帰りに(退学届け)取りに来てください』っていうのが。
それで『学生部よっ』て、僕が家に帰ると(僕の出した退学届けが)テーブルの上に置いてある」と苦笑交じりに説明。
そして「それもやっぱり親の気持ちかなと思って、4回目ぐらいだったかな、ちょっともうあきらめてというか、とりあえず籍だけ置いておこうか」と、
何度出しても退学届を持ち帰ってくる母に根負けしたことを明かした。
https://news.livedoor.com/article/detail/16878800/
2019年8月4日 16時19分 スポーツ報知
(出典 image.news.livedoor.com)
青学で9年留年した高橋克典、何度退学届を出しても受理されなかったわけは… 俳優の高橋克典(54)が4日放送の日本テレビ系「誰だって波瀾爆笑」(日曜・前9時55分)に出演。青学大で9年間留年していたことを明かした。 青山学院… (出典:エンタメ総合(スポーツ報知)) |
>>1
ここのかーちゃんも父ちゃんも教職員やろ?音楽系の
かーちゃんは青山の短期の教授じゃないっけ?
8年までしかいられないんじゃないの?
>>2
休学2年はカウントされてないのでは
大学にとったら100万弱入ってきておいしいよな
>>7
文系ならそんなならんやろ
慶應だって70万ぐらいやで
>>7
当時は私学でもそんなにしない
>>7
当時は青学でも50いかないだろ
あれ?ハゲてねえじゃん
>>10
それ、克美やな
下から青山! 超お金持ちだったのね。
>>12
この人は梅宮アンナの従兄弟だけど、
俳優やってるのは梅宮アンナの父親くらいで、父の兄弟たちはお医者さんや教授ばかりと言ってた
ウチだけ他の親戚と職業が全く違うって
でも高橋克典ももう一人従姉妹の女の人も役者になったね
お金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんの道楽だな
>>83
マジか
梅宮の従兄弟で飲んだくれのクズ知ってるぞ
尾崎の後輩だっけ
>>20
高橋:1964年12月15日
尾崎:1965年11月29日
三田寛子の旦那が尾崎と同学年だが中卒、尾崎は高校からだから
すれ違いなんだな。
八代目 中村芝翫は青山学院初等部時代からの幼馴染である[5]。(高橋の方が1学年上)
尾崎豊は、同じ高校の1学年後輩に当たる。
俺の母なんて岐阜県から金沢大へ進学した俺に「仕送りが勿体ないから辞めたくなったら直ぐに辞めて働きなさいよ」が口癖だったからな。
金持ちが羨ましいよ。
>>24
俺、入試当日の出来と模試の成績から早稲田政経政治もしくは法学部のどちらか(両方かも)にトップ合格してるはず
結局法中退
家賃込みで仕送り5万だった
8年じゃないんか
サンプラザ中野やタケカワユキヒデが聞いたら羨ましくなる話だねw
>>29
中野さん苦学生だったの?
>>31
多忙だったのかなんなのか大学に8年在籍して、在籍は8年までが制限だったから、
中退したんじゃなかったかな
苦学生じゃなくて、むしろ金があったからできる事では
>>35
そっか
在学中の記憶がよみがえってきた
「トップで入学した俺が何故こんなアホどもより苦しい生活をしないといけないんだ!」
あー
何だったんだろ俺の人生
>>37
入試トップなら給与の奨学金とかもらえたんじゃないのか
川島なお美はいい女だったね、このレベルと*したことないよ
ワイが乳やマンコ舐めた頂点は大家、須田亜香里まで。せめて峯岸みなみクラスとやりたい
>>30
それはボケなのか?
大家須田の圧勝じゃない?
>>33
その二人はただのガキで女性らしい色気もなんもない
>>33
川島なお美は美人大学生でスポーツカー乗り回してたらしい
>>60
めちゃくちゃ可愛かったなー
うつ病で休学して留年と休学で大学に同じく9年いたよ
担当教授変えてもらったら大学通えて卒業したけど学費は親に申し訳なかった
>>32
担当教授を変えてもらえるもんなのか
何学部の何学科?
うちの大学はもしそんな学生がいても、そんな親切なことしてくれなかったと思う
>>32
まあ鬱でそうなってしまったのならその場合はどうしようもないよな
同級生らがもうとっくに卒業していった後、かなり孤独だったろうに卒業しきったのは偉いよ
>>32
今は何をされている方なの?
それによってはいい思い出な感じにもなるんじゃない?
修業年限が4年の通常の4年制大学なら、その2倍の8年まで在学できる これが在学年限
でも休学期間はこの在学年限に含まれず、そして休学は修業年限と同じく4年までできる
つまり最大12年まで学部生として在籍できる
同じように修士課程の時は最大6年
博士課程の時は最大9年まで 在籍可能
つまり、学部から博士課程まで最大限在籍しようと思ったら12+6+9の27年も大学にいられるんだよ!
>>39
あの胡散臭い学生運動やってる寮の主みたいなオッさんはこれか
高橋克典もう54なのかよ
特命係長しかパッと思い付く作品はないけどw
>>41
俺はサラリーマン金太郎のイメージ
青学は高校だと女子は偏差値高いが、男子はそうでもないからね
男子は63くらいで合格できる
高橋克典の頃だともう少し下の偏差値でも入れたころだな
>>48
付属高人気で高倍率高偏差値。
駿台やサピの偏差値で55以上、
首都圏の中学生が受ける模擬なら
70以上取ってないと男子も無理だよ。
早慶併願組に合格持っていかれる。
梅宮辰夫の親戚だろ
>>52
従伯父だからなぁ5親等だから完全に親族
高橋克典は54歳だからな
40前半とか氷河期世代と思ってる奴おるな
かなり受験もぬるい時代だよ
>>59
大学受験が厳しかったのなんて言われてんのはS47~50ぐらいだけだしな
それより上はバブルだったり全てにおいて楽勝世代
>>72
遡るほど厳しさは増す
つまりだんだん簡単になってる
歴史を捏造するな
>>72
その世代は日本史上最高の受験の厳しさだったが、それより前の世代も今よりは難しいだろう
>>72
なんで、S47からなんだw
基本倍までOKでしょ
1年で留年1回までのとこ除けば
歯科大の知り合いは14年いった
12年で放校扱いから、再入学で入学後また留年でまたまた放校
入学金800
授業料400✖14=5600
生活費15✖12✖14=2520
あともろもろいります
ざっと1億ですか
むろん歯科医師にはなれませんでした
>>67
やる気なさすぎんだろw
結局大学関係ない仕事して成功してるから本人が正しい
>>69
青学を普通に卒業して
普通に会社員とかやっていた場合よりも
おそらく成功しているから、
結果オーライだな
母ちゃんが教授やってるから許されたんでしょ
高橋克典って*っぽい
背低いし
>>71
らららクラシックで見直した
こいつの祖母と、
梅宮辰夫の母親は姉妹
つまり極道の家系
マメ
>>90
なるほどね
ボンボンといっても、曰く付きなんだな
日本の歴史上、18歳人口がもっとも多かった最初のピークは1966~1968年あたり。
このとき、18歳人口は250万人を超えていた(いわゆる団塊の世代)。
第2次のピークは、1990~1992年あたりのことで200万人を超えていた。
あとはどんどん減り続けていて、2016年には約120万人になっている。
(出典 kgc2039.jp)
>>94
あっそ
で?
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